危急時遺言の確認審判において判断能力を検討する必要があるか【東京高決平成3年11月20日】

事案の概要

  1. 遺言者及びその亡夫井上啓太郎(以下「啓太郎」という。なお、この夫婦を以下「啓太郎夫婦」という。)と、相手方の父渡辺喜美男及び母渡辺あきえとは、いずれももと群馬県○○○市の出身者であって、かなり古くから付き合いがあった。ところで、抗告人は、啓太郎の甥に当たる新井正義及びその妻えりの長女であるが、啓太郎に請われて、将来は啓太郎夫婦の養子になるとの約束で、昭和38年から新井正義及びえりとともに、啓太郎宅と同一の敷地内に居宅を建てて、実質上啓太郎夫婦と同居し、同人らに孝養を尽くしていた。そして、啓太郎夫婦と抗告人とは、昭和52年8月29日に正式に養子縁組の届け出をした。
  2. 啓太郎は、昭和57年5月11日に死亡した。啓太郎の法定相続人は遺言者と抗告人との2名であり、法定相続分は各2分の1であったが、抗告人は、老齢の遺言者のことを配慮し、相続財産は全て遺言者に相続させることとし、抗告人は何も相続しなかった。
  3. 遺言者は、老衰による心臓機能低下のため平成2年5月9日に○○市○区○○町×丁目××番地所在の○○赤十字病院に入院したが、心不全の状態が続き、平成2年6月3日に死亡した。死亡当時の年齢は、96歳であった。遺言者は、入院当初はチェーン・ストークス呼吸という一時的に呼吸が停止する症状があったが、酸素吸入などの措置によりその症状も大分改善され、同年5月16日(本件遺言書作成の日)前後は、栄養剤の点滴を受けながら、チューブによる鼻孔からの酸素吸入を受けている状態で、意識レベルはまどろんでいる状態から覚醒している状態まで絶えず変化している状態であった。しかし、遺言者は、覚醒している状態のときには意識があり、医師との受け答えをするなど、自己の意思を伝えることができた。
     しかし、遺言者は、同年5月18日から症状が急に悪くなり、翌19日には栄養の経口摂取もできなくなって、高カロリーの点滴が始められた。そして、遺言者は、その後も症状の悪化が続いて、前記のとおり同年6月3日に死亡した。
  4. 相手方は、本件遺言に先立ち相手方が右病院に遺言者を見舞った際に、遺言者から、遺言者名義の預金通帳3通を交付され、その保管を委任されたとして、これを銀行の貸金庫に預けていた。そして、相手方は、これを銀行の貸金庫に預けた際に、銀行員から遺言書を作成したほうがよいと助言されたとして、平成2年5月15日に弁護士である証人吉本久雄(以下「吉本」という。)に電話で相談し、遺言書の作成を依頼した。この依頼を受けた吉本は、翌16日、相手方とともに、遺言者が入院していた前記病院に赴き、主治医の谷川医師から遺言者の病状を確かめ、遺言者には遺言をする能力があると判断したとして、死亡危急者遺言の方式で遺言書を作成することとし、その証人になることを承諾した。
  5. そこで、同日午後2時すぎころ、遺言者の病室において、まず申立人が、遺言者に対し、「私に預金通帳3通を預けてくれましたよね。それを私にくれると言いましたよね。」と話しかけ、「そのための遺言書を作るために来てもらった弁護士ですよ。」と言って、吉本を紹介した。これに対し、遺言者は、ただ頷いただけであった。
  6.  一方、吉本は、事前に、相手方の手帳に記載してあった本件預金の預け先銀行及び支店名、本件預金の種類、口座番号及び金額を罫紙に移記して、手控えを作成した上、同日午後2時20分ころ右病室において、相手方を同病室から退出させるとともに、相手方が事前に証人として立会することを依頼していた福田定夫、大沢トキ及び宮本和子の3名(以下、いずれも姓のみで略称する。)に立会をさせた上、遺言者に対し、「あなたは、渡辺さんに預金を遺贈されるということですが、それでよろしいですか。」と聞き始めたが、遺言者は、口を動かして何か返事をするような態度を示すだけで、言葉がはっきりせず、証人のだれにもその内容が聞き取れなかった。吉本は、遺言者の口許に耳を近づけてみたが、それでもその内容は聞き取れなかったので、大沢に代わって聞いてもらうことにし、大沢が遺言者の口許に耳を近づけて聞いてみたが、同様に聞き取れなかった。そこで、吉本は、遺言者に対し、「はい」、「いいえ」で答えてもよいし、さもなければ、頷くだけでもよい旨を伝え、前記の手控えに基づいて本件預金債権の預け先銀行及び支店名、本件預金の種類、口座番号及び金額等を読み上げて、その存在を遺言者に確かめたところ、遺言者は、「アー」、「ウー」に近い声を発しながら各質問にかすかに頷いている様子であった。そして、吉本が更に遺言者に対し、「あなたに万一のことがあったら、これを渡辺佐和子さんに差し上げるということでよろしいですか。」と尋ねた際にも、遺言者は、同様に頷いている様子であった。
  7. 右の手続が終わった後、吉本は、事前に相手方から遺言者には養女がいる旨聞いていたので、同人に対する遺贈の有無も確かめる必要があると考え、遺言者に対し、「本件預金債権の他にも財産があると思いますが、養女にあげるということでいいのですか。」と聞いたところ、遺言者は、同様に頷いた様子であった。なお、本件遺言書の中に本件預金債権以外の財産を抗告人に相続させる旨の条項を付加することにしたのは、吉本の発案によるものであって、遺言者はもとより、相手方からも依頼されたものではなかった。
  8. 以上のように、遺言者は、吉本の各質問に対して、頷くなどの様子を示した程度であって、遺言者自らが遺言の趣旨を積極的に口授することはできず、そういうことは一切行わなかった。しかし、吉本は、それにもかかわらず、遺言者が、証人である吉本、福田、大沢及び宮本4名の立会いの上、吉本に対し本件遺言書に記載されたとおりの遺言の趣旨を口授した旨の本件遺言書を作成した。そして、これを遺言者の前で読み上げたが、遺言者は、従前と同様ただ頷くだけであって、遺言の趣旨を理解しているかどうかは証人にはわからなかった。そこで更に、吉本が本件遺言書に記載された預金内容を読み上げて、これを相手方に差し上げることでよろしいですねと尋ねたところ、遺言者は、大きな声で「はい」と答えたのみであった。吉本は、その後、病室外の控室において本件遺言書の表現の一部を手直しし、その欄外に訂正(削除1字)の記載をした上、証人としての署名押印をし、更に福田、大沢及び宮本も、その順序でそれぞれ証人としての署名押印をした(ただし、福田は、指印をした。)。そして、右の手続が終了したのは、同日午後3時ころであった。

争点

  1. 上記事案の危急時遺言において判断能力があったか
  2. 危急時遺言の確認審判において判断能力を検討する必要があるか

判旨

上記事案の危急時遺言において判断能力があったかについて

本件遺言の際、遺言者に、本件遺言の趣旨、すなわち相手方に対する本件遺贈の内容を具体的かつ正確に理解する能力があったか否か、また、仮にその趣旨を理解する能力があったとしても、これを具体的かつ正確に口授する能力があったといえるか否かについては、甚だ疑問であるといわざるを得ない。

危急時遺言の確認審判において判断能力を検討する必要があるかについて

民法976条3項所定の遺言確認の審判においては、特定の遺言が遺言者の真意に出たものであるか否かを確認すれば足り、その遺言が同条1項所定の遺言の方式に違背しているか否かは右審判の対象となるべきものではない。しかしながら、遺言の際、遺言者に、遺言の趣旨を理解する能力が欠如又は不足していた場合や、その趣旨を口授する能力が十分になかった場合には、その遺言が遺言者の真意に出たものであるか否かについて疑問が生じるのは当然である。したがって、右審判においても、遺言の際、遺言者に、遺言の趣旨を理解する能力及びその趣旨を口授する能力があったか否かについて慎重に検討する必要があることは明らかである。

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