公正証書遺言の署名が判読しがたい場合にも有効か【大阪高判平成21年6月9日】

事案の概要

  1. 平成一一年六月に、太郎は、控訴人とともに大阪府貝塚市の病院に太郎の弟である竹夫の見舞いに行ったが、同人が肺癌であって、先が長くないとの話を控訴人とした。
  2. 同じ頃、太郎の妻である甲野花子(以下「花子」という。)から遺言書の話があったことから、太郎は遺言書を作成する気になった。この話を太郎から聞いた控訴人は、畑弁護士の事務所(和歌山合同法律事務所)を訪問して相談をし、段取りを決めた上で、平成一一年七月二日午後一時三〇分に畑弁護士の事務所に、控訴人の車で太郎及び花子を連れて行った。この際、太郎は、控訴人の肩を借りたが、エレベーターを使用して三階の同事務所まで自分で歩いて行った。
  3. 畑弁護士は、太郎とは初対面であったので、太郎に対して、遺言の能力があるのか、遺言の意思があるのかについて確認の質問をし、その中で財産の内容や親子関係など、遺言をする動機などを聞いたが、畑弁護士にとって、特に太郎の能力を疑うような事情はなく、太郎が控訴人に強いられて不本意な遺言をすると疑うべき事情も認められなかった。
  4. その後、畑弁護士及び畑弁護士の事務所の事務員である丁原梅夫が、控訴人、太郎、花子とともに和歌山合同公証人役場に赴いた。同役場はビルの三階に所在していたが、太郎は丁原事務員に身体を支えられ、自ら歩いてエレベーターに乗り、同役場の公証人の前まで行った。戊田公証人は、太郎と面識がなかったため印鑑証明書を提出させて本人確認をした。また、戊田公証人は、太郎が大正四年生まれで当時八三歳と高齢であったことから、遺言者の判断能力の確認のために、財産の内容や、法定相続人にはどういう人がいるのか、相続の内容と、遺留分についての理解などについて質問をしたが、遺言能力や遺言をするについての自発的な意思の存在などについて、戊田公証人が疑問を持つ点はなかった。
  5. 戊田公証人は、次に畑弁護士との打ち合わせに基づき既に作成されていた公正証書の原案について、その内容を口授して確認し、太郎に間違いないとの趣旨を述べたことから、遺言者である太郎が同公正証書に署名することになった。筆記用具は、戊田公証人が通常使用する筆ペンによったが、遺言者と証人の三人が隣接する行に連署する形になっていて、記載するスペースが十分でなかったこともあって、太郎が書きにくいようであった。そこで、戊田公証人は、代筆をした方がいいかと考えて「もう止めますか。」と尋ねたが、太郎はこれを断って自ら署名押印を終えた。戊田公証人は、それまでの公証実務において、遺言者の公正証書への署名が署名の意味をなさないときは、書き直しを求めていたが、本件の太郎の署名は判読困難なものであったものの、公正実務では達筆なあまり読めない署名も時にはあることから、疑問を感じず、書き直しを求めなかった。畑弁護士も遺言者の署名に疑問があれば書き直しを求められることを認識していたが、太郎の署名に疑問を感じず、太郎の署名欄の左隣りに署名押印し、丁原事務員も続いて署名押印した。その後、戊田公証人が署名押印して、本件公正証書の作成を完了した。
  6. 本件公正証書遺言の内容は、「遺言者はその所有する財産全部を長男・甲野一夫に相続させる。」という簡明なものである。また、太郎が本件公正証書に署名した文字は、原判決別紙第一のとおりであり、上部の一文字とこれとやや離れて三ないし四字で構成されるかのような一連の文字が記載されている。上部の一文字は「甲」と読むことが可能であるが、下部の一連の文字は容易に判読し難いものである。ただ、全体として、人の氏名を記載したものと認識することができる。

争点

  1. 公正証書遺言の署名が判読しがたい場合にも有効か

判旨

公正証書遺言の署名が判読しがたい場合にも有効かについて

 本件公正証書遺言の場合は、前記のとおり、遺言者である太郎が署名したこと自体は明らかであり、その記載された文字は、原判決別紙第一のとおりである。前記のとおり、最初の一文字は「甲」と読むことができるものの、下部の一連の文字は判読し難いものである。控訴人主張のように、「甲野太郎」と読むことは困難であるが、他方、被控訴人主張のように「甲野一夫」と読むことも、文字を素直に目視観察する限りにおいては困難である。しかし、遺言者欄に記載された下部の一連の文字が判読し難いものであったとしても、最初の一文字が「甲」と読むことが可能であり、しかも全体として氏名の記載であることは明らかであって、遺言者本人が公正証書の遺言者欄に自己の氏名として自書し、署名の現場に立ち会った法律専門家である公証人も弁護士も、代筆や書き直しが可能であることを認識しながら、遺言者の署名であることに疑問を感じず、これらの措置を執らなかったというのであって、本件公正証書における遺言者欄の記載は民法九六九条四号の定める遺言者の署名の要件を満たしていると解するのが相当である。

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