91歳で認知症に基づく異常行動がたびたび見られるものに遺言能力があるか【神戸地判尼崎支部平成18年10月18日】

事案の概要

  1. 原告は、太郎とA野花子との間に生まれた三男、被告松夫は長男、被告竹夫は次男であり、被告一郎は、太郎とA野春子との間の長男、被告二江は長女である。
  2. 太郎は、大分県竹田市《番地省略》所在の生家に居住し、建設業のB原組に勤務していたが、転勤のため昭和三〇年ころ兵庫県尼崎市に転居し、原告、被告一郎、同二江は同市東園田町で育った。太郎は、昭和四八年ころにB原組を退職した。
     その後、原告と被告二江は、結婚をして実家を離れたが、被告一郎は昭和六一年に結婚し、昭和六二年家を建替えたころから、太郎と同居していた。原告は、その近所に住んでいた。
  3. A野家は、古い家系図によれば一七世紀末ころから太郎まで一六代続いた旧家であるところ、とくに太郎の祖父であるA野松太郎は、大分県竹田市宮城地区に水田を作るため、私財を投じて上畑井路を完成させ、県議会議員を勤めるなどした地元の名士で、同市内ではA野松太郎像が建立され、本件公正証書に記載された同市内の不動産はA野松太郎の生家として地元では有名であり、太郎は、祖父は偉大な人であったとよく話していた。太郎は、先祖から引き継いだ同不動産や先祖代々の墓、骨董品等の維持管理に非常に気をつかい、B原組を退職した後は、一年の大半をそこで過ごして財産の維持管理にあたっていた。
     太郎は、先祖の墓には自分の入るスペースがないことや長男である被告松夫の不安定な生活状況を心配していたが、次男である被告竹夫に対して、A野家の跡取りになるよう頼んだことはなく、先祖から受け継いだ財産等の後継者は決まっていなかった。
  4. 太郎は、平成一五年九月に、かかりつけであった大阪中央病院に入院した後、同年一〇月二七日から同年一一月七日まで、被告一郎が理事兼事務部長を勤めているE田病院に入院し、その後一時的に再び大阪中央病院に入院し、同年一二月一六日から平成一六年四月一三日に死亡するまでE田病院に入院していた。

争点

  1. 上記事案のように91歳で認知症に基づく異常行動がたびたび見られるものに遺言能力があるか

判旨

上記事案のように91歳で認知症に基づく異常行動がたびたび見られるものに遺言能力があるかについて

E田病院に入院した当時から、担当医であるD川医師から認知症と判断されて、その後、記憶、見当識、判断力などの知能障害が生じ、混乱反応、せん妄等の認知症に基づく異常行動が度々見られ、増悪傾向にあったところ、平成一六年二月下旬から、酸素飽和度が正常値よりも低下して二四時間態勢で酸素吸入が開始され、発熱も度々生じるようになっていたこと、原告及び被告竹夫が面会した際、遅くとも同年一月から死亡するまで太郎との意思疎通はほとんどできなかったこと、本件公正証書作成した同年三月四日は発熱し、同日午後一時四五分には酸素飽和度がさらに低下したため、酸素吸入量を増量したものの、安定しないため、同日午後四時にはさらに増量しており、その間である同日午後三時ころから本件公正証書が作成されたこと、その一週間後である同月一一日には危篤状態に陥り、翌四月一三日に死亡していたことに加えて、E原三郎医師が、太郎の入院時に撮影された大脳MRIで、皮質の軽度の萎縮と髄質各所の梗塞巣の存在と併せて側脳室の変形と中等度の拡大を認められ、同側脳室の形態変化が存在する場合、痴呆(認知症)に罹患している可能性が極めて高いと指摘していること(甲六)をも併せ考慮すると、本件遺言当時、太郎は、九一歳という高齢により衰弱していたところ、認知症の症状が増悪し、かつ体調が悪化していたため、本件遺言をするに足る意思能力を有していなかったと認定するのが相当である。

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