公正証書遺言作成時に「結構です。」と答えたことをもって口授があったといえるか【広島高判平成10年9月4日】

事案の概要

  1. 壽雄(昭和七年四月一三日生)は、山口県佐波郡徳地町大字堀七三〇番地にある自宅において、母であるスミノ(明治三六年一一月七日生)と同居し、運送会社でトラックの運転手として働いていたところ、二度目の妻である弓子と離婚して約半年たった昭和五九年夏ころ、知人から紹介されて知り合った被控訴人(昭和一四年九月二五日生)と見合し、しばらく交際した後の同六〇年初頭から、被控訴人と夫婦関係をもつようになった。しかし、壽雄と被控訴人が婚姻届出をなしたのはそれから約六年後の平成二年一二月七日であるが、同四年九月二二日には、被控訴人において、壽雄に無断で協議離婚届を提出しており、以後、その状態が続いたままである。
  2. 壽雄は、平成五年四月運送会社を定年退職したが、そのころ、徳山中央病院で大腸癌の手術を受け、いったん回復したものの、再び体調を崩したため、今度は、県立病院で治療を受けるようになり、同六年八月三〇日、同病院の内科に入院したところ、肝門部に癌が転移していることが判明したことから、同年九月七日、同病院の外科に移り、同月二一日と二三日の両日手術を受けた。しかし、右各手術を受けた後も、壽雄の容体は回復に向かわず、結局、同人において、敗血症を併発し、平成六年一〇月一五日午後二時一七分、同病院で死亡した。
  3. ところで、スミノの三女であり壽雄の妹である控訴人の夫本廣は、壽雄において県立病院に入院中、しばしば同人を見舞うために同病院を訪れていたところ、その間の平成六年九月二三日、同人の自宅において、本件各貸付信託(ただし、この時点では、別紙〔貸付信託一覧表〕記載の6を除いたもの。)に係る信託財産額ご案内を見付けたことから、これらが同人の財産に含まれると思うようになり、合わせて、このことと前後する同月一九日から同年一〇月一三日までの間、同人がその財産を被控訴人に与えたくないとの趣旨の言動を示していることを見聞した。そこで、本廣は、壽雄の財産を被控訴人に渡さないようにするための対策を講ずべく、事前に壽雄の意向を確かめないまま、平成六年一〇月一三日、防府市にある公証人役場に赴き、同役場の甲野公証人に対し、「親戚が病院に入院しているが、遺言したいと言っている。それで、遺言の公正証書を作成するにはどのようなものが必要か。病室に出入りする人が勝手に預貯金を引き下ろしているので、松永(壽雄)の財産を守らなければならない。松永が、「母親(スミノ)にすべてを任せたい。」と言っている。」などと告げて、壽雄に係る遺言公正証書の作成につき相談した。
  4. 右の相談を受けた甲野公証人は、本廣に対し、遺言公正証書の作成に必要な書類を教えるとともに、「壽雄の主治医に、同人に遺言をする力(能力)があるかどうか相談し、大丈夫ということであれば、病院へ行って遺言公正証書を作成することは可能である。」旨答えた。そうしたところ、翌日の平成六年一〇月一四日午後になって、本廣から、「先生(医師)に相談した。先生は可能だと言っている。できれば(遺言公正証書を)今日作成してくれ。」との連絡を受けた甲野公証人は、本廣において右公証人役場に持参して来た所要の書類を参考にしつつ、前日、同人から受けた相談に即し、「遺言者(壽雄)は、その所有する財産全部を遺言者の母スミノに遺贈する。遺言執行者に本廣を指定する。」との内容の本件公正証書の原稿を事前に作成した上で、同人及び同人と共に同公正証書の証人の一人となった歳弘美奈雄と一緒に、県立病院に向かい、同日午後五時三〇分ころ、同病院内の壽雄の病室に至った。
  5. 一方、平成六年一〇月一四日当時の壽雄は、その数日前から、敗血症の影響による意識レベルの低下した状態にあり、常時ではないものの、ある一つのことを関連付けて発言することができないことに加え、妄想的、幻覚的な言動を繰り返し示しており、右同日に至っては、ベッドの上に自力で起き上がることが難しく、点滴を投与することさえできないほどに重篤な症状を来たしており、したがって、例えば、自ら署名をすること自体は可能であるものの、それを何のためにするのかということやその持つ意味については分からなくなっている有様であった。
  6. 平成六年一〇月一四日午後五時三〇分ころ、本廣及び歳弘美奈雄と共に壽雄の病室を訪れた甲野公証人において、壽雄の病状を医師に確認するようなことはしないまま、同日午後六時ころまでの間、壽雄に対し、「自分は遺言公正証書を作成するためにやって来た公証人である。」旨挨拶し、壽雄の生年月日等を聞かせて、同人がそれに対し、「そうです。」と返事をしたり、本件公正証書の内容を説明したりする間の同人の表情などによって、その意思確認をした後、同人から、「私の財産はお袋にすべて任せたい。私の考えのとおりにして欲しいので本廣に頼んだ。」という言葉を聞いて、前記エで認定した原稿に基づき、「松永さんが言われたことを証書にするとこのようになります。」と告げて、壽雄に読み聞かせたところ、同人において、「結構です。」と答えたため、同公正証書に関する口授を得たものと判断した。
  7. 甲野公証人は、壽雄に対し、本件公正証書の遺言者欄に署名押印するように求めたところ、同人において、ベッドに寝たままの状態でこれらをなし、また、本廣及び歳弘美奈雄の両名も、同各証人欄にそれぞれ証人として署名押印したところ、毒雄において、右押印をなす際、「この印は、今度新しく作った。」旨口にした。
  8. 本件公正証書はかかる経過を経て作成されたところ、前記イで認定したように、壽雄は、右作成の時からおよそ二〇時間後の平成六年一〇月一五日午後二時一七分、県立病院で死亡した。

争点

  1. 公正証書遺言作成時に「結構です。」と答えたことをもって口授があったといえるか

判旨

公正証書遺言作成時に「結構です。」と答えたことをもって口授があったといえるかについて

控訴人は、壽雄の意思能力に欠けるところがない状態において、壽雄が甲野公証人に「私の財産はお袋にすべて任せたい。私の考えのとおりにして欲しいので本廣に頼んだ。」と発言し、甲野公証人が予め用意していた原稿に基づき読み聞かせたところ、壽雄において「結構です」と答えているから、民法九六九条二号所定の「口述」の要件に欠けるところはない旨主張する。しかし、前示のとおり、本件公正証書作成当時、壽雄は意思能力が欠如していたとまでは言い切れないものの、極めてそれに近い状態にあったことは否定し得ないところであり、「壽雄の意思能力に欠けるところがない状態において」という控訴人の主張の前提自体が採用できない。また、壽雄が甲野公証人に「私の財産はお袋にすべて任せたい。私の考えのとおりにして欲しいので本廣に頼んだ。」と発言したとの点については、その旨の甲野公証人の原審における証言部分は存するが、同人は壽雄の言った言葉は、「お袋に任せたい。」、「本廣に任せたい。」、「判子を新しくした。」の三つだったと思うとも証言しているのであり、前示の壽雄の容態にも鑑みると、壽雄がその財産の帰属や管理について整然と自身の考えを述べたか否かについては疑問があり、控訴人引用にかかる右甲野公証人の証言部分は壽雄の発言そのものというよりも、断片的な壽雄の応答から甲野公証人が推測した事柄をも含むものと解せられること、壽雄は本件公正証書作成の約二週間前(一〇月一日)に「内妻宮西シヲ子は本人の自由にして下さい。お金の事一切異議の申し立てしません。車も使って下さい。」などと記載した「遺言書」と題する書面(乙三)を全文自署して被控訴人に与えていることなどを併せ考えると、壽雄の甲野公証人に対する発言、対応をもって、民法九六九条二号所定の「口述」の要件を充足すると解することはできない。仮に壽雄が真実、右甲野公証人の証言部分のような発言をしたとしても、本件においては、前示のように、壽雄が意思能力欠如に近い状態にあったこと、公正証書の作成嘱託に当たり本廣は事前に壽雄の意向を確認していないこと、壽雄と先妻の間の四名の子らに対してなんら連絡、相談をしていないこと、甲野公証人も右四名の子らの存在を容易に知り得たにもかかわらず、壽雄がなぜスミノに包括遺贈するのかなどについて同人に確認していないこと、本廣はその後の経過から見て本件遺言について強い利害関係を持つ者といいうることが認められるから、結局、本件公正証書の作成は遺言者たる壽雄の真意に基づく、自由にして明確な遺言意思表示を確保するための口述の方式によってなされたとは認めることができないというべきである。

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