うなずいただけのときに公正証書遺言の口授があったといえるか【最判昭和51年1月16日】

事案の概要

  1. 被控訴人の母平山美恵は、昭和三八年頃直吉と知り合い、翌年頃同人と肉体関係をもつようになり、昭和四〇年一月頃直吉所有のアパートの一室に入居し、同人との肉体関係を続けていたが、昭和四二年六月二日被控訴人を出産した。
  2. 直吉は、昭和四六年四月頃、肝臓障害が悪化し、○○市内の××医院に通院を始め、同年六月九日同医院に入院したが、同年六月一五日○○県立中央病院に転院した。同日午後の医師の診断では直吉は肝性昏睡の前駆期にあるものと認められた。肝性昏睡は、前駆期、切迫昏睡、肝性昏睡と進行するものであるが、翌一六日午前中は前駆期から切迫昏睡へと移行する段階にあつた。同日午後四時頃、直吉は腹水がたまつたため腹腔穿刺の手当を受け、続いて酸素吸入の処置を受けた。同日夕方は直吉は切迫昏睡の状態にあり、意識は傾眠状態に陥つており、判断力はひどく低下していた。意識は少し良くなつたり、また悪くなつたりという波があるけれども、次第に悪化していつた。この状態においては、人が何か声をかけた場合、直吉はこれに対し返事をするけれども、その返事は、他人の言うことを理解した上でするものかどうか甚だ疑わしく、到底信用できないものである。一六日午後八時ないし九時頃は直吉は右のような状態にあつた。そして、同人は一七日朝には肝性昏睡の状態に陥り、同日午後三時頃死亡した。
  3. 六月一五日正午すぎ、直吉はその弟郡勝夫に対し、被控訴人を認知する遺言をしたいから手配を頼む、と依頼した。勝夫は翌一六日川島英一に対し遺言の件を公証人に頼むこと及び証人になることを依頼し、また、村井隆男に対し証人になることを依頼した。川島英一は同日公証人島田雄三に対し遺言公正証書の作成方を依頼した。右公証人は、病院へ行くに先だち、事務所において、川島英一の話に基つき公正証書用紙に遺言の内容(直吉が平山美恵が生んだ被控訴人を認知する旨)を記載し、かつ、公証人の押印をすませた上、同日午後八時半頃川島英一と共に県立中央病院の直吉の病院に着いた。村井隆男はすでにそこに来ていた。右公証人は、川島英一、村井隆男と共に病室に入り、付添人に室外に出てもらつた上、病床の直吉に対し、「子供のことで遺言するのは本当か。」と聞いたところ、直吉はうなずいた。また、公証人が「洋美を子として認めるという公正証書を作つてよいか。」と聞いたところ、直吉はうなずいた。また、公証人が「洋美はあなたの子にまちがいないか。」と聞いたところ、直吉は同じくうなずいた。しかし、直吉は公証人のすべての問に対し単にうなずいただけであつて、一言も言葉をいわなかった。公証人は遺言をまちがいないと判断し、病室を出たのち、川島英一及び村井隆男に証人として署名押印してもらい、直吉は署名することができないので公証人がその旨を記載し、かくして本件遺言公正証書を完成した。

争点

  1. 上記事案のようにうなずいただけのときに公正証書遺言の口授があったといえるか

判旨

上記事案のようにうなずいただけのときに公正証書遺言の口授があったといえるかについて

遺言者が、公正証書によつて遺言をするにあたり、公証人の質問に対し言語をもつて陳述することなく単に肯定又は否定の挙動を示したにすぎないときには、民法九六九条二号にいう口授があつたものとはいえず、このことは遺言事項が子の認知に関するものであつても異なるものではないと解すべきである。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする