自筆証書遺言における筆跡鑑定の証明力【東京高判平成12年10月26日】

事案の概要

  1. 太郎(明治四〇年三月五日生まれ)と花子(大正二年一二月七日生まれ)には、被控訴人春子(昭和一五年三月九日生まれ)、一郎(昭和一六年一二月二五日生まれ)、被控訴人二郎(昭和一九年二月一〇日生まれ)及び控訴人(昭和二一年一〇月三一日生まれ)の四人の子供がいたが、遅くとも昭和四七年四月ころまでに被控訴人ら及び一郎は結婚などによって両親のもとを離れ、控訴人のみが両親と同居していた。控訴人は、昭和五九年二月に結婚した後も、両親宅のごく近くに居住した。
  2. 花子は、昭和五〇年三月に高血圧症により軽い発作を起こし、左半身に軽い麻痺を生じた。しかし、以後も、日常生活に支障はなかった。
     さらに、花子は、昭和六二年五月、脳梗塞で板橋中央総合病院に約二か月入院した。
  3. 太郎は、昭和三一年以降、花子名義で賃借した東京都豊島区西池袋の土地に建物を建て居住していた。太郎は、花子の入院を契機に子供との同居を考え、旧建物を取り壊して二棟の建物に建て替えた。平成元年五月ころから、そのうちの一棟に太郎、花子、控訴人夫婦が居住し、他の一棟に被控訴人二郎一家が居住した。
  4. 平成二年二月一一日に太郎が死亡した。花子、被控訴人ら、一郎及び控訴人は、太郎の遺産について、平成二年五月ころ、遺産分割協議を成立させた。
  5. 花子は、株式の売却代金等により、代償金(合計五億四七三〇万円)を支払った。
     花子は、配偶者の税額軽減措置を受けたため相続税が課税されなかったが、子供達には約九〇〇〇万円ないし九八〇〇万円の相続税が課税された。
  6. 太郎が死亡した後、西池袋の建物では、花子と控訴人夫婦とが同居を続けた。
     しかし、平成二年四月、控訴人が乳ガンに罹患していることがわかり、同年五月には手術を受け、同年六月三日まで入院した。
     入れ替わりに、花子は、同月四日から平成三年五月二五日までの約一年間、石和温泉病院に入院した。
  7. 花子名義の平成二年九月八日付け自筆証書遺言(本件遺言)がある。
  8. 花子は、平成四年九月に一二日間要町病院に入院し、その後、平成六年一一月まで約二年間、ヴィラ武蔵野(シルバーホテル)に滞在し、一か月に一週間程度自宅に帰る生活を続けた。
     そして、花子は、平成八年一二月二四日に富家病院に入院し、退院することなく、平成一〇年二月七日に死亡した。

争点

  1. 自筆証書遺言における筆跡鑑定の証明力

判旨

自筆証書遺言における筆跡鑑定の証明力について

  4 筆跡鑑定について
 本件遺言(乙三の二)の筆跡と花子の日記帳(乙二〇)の筆跡について、原審における鑑定の結果は、ア 配字形態は、類似した特徴もみられるが総体的には相違特徴がやや多く認められる、イ 書字速度(筆勢)は、総体的に相違特徴がみられる、ウ 筆圧に総体的にやや異なる特徴がみられる、エ 共通同文字から字画形態、字画構成の特徴等をみると、いくつかの漢字では形態的に顕著な相違があり、ひらがな文字では総体的には異なるものがやや多い傾向があるとして、本件遺言の筆跡と花子の日記帳の筆跡とは別異筆跡と推定するとの結論を出している。
 一方、乙六四(吉田公一作成の鑑定書)は、いくつかの漢字について相違しているもの、類似しているものを挙げ、また、両者の筆跡に筆者が異なるといえるような決定的な相違点は検出されないなどとして、本件遺言の筆跡と花子の日記帳の筆跡とは筆者が同じであると推定されるとの結論を出している。
 原審における鑑定の結果と乙六四とは、基本的な鑑定方法を異にするものではない。右の二つの結論の違いは、本件遺言自体が安定性と調和性を欠いていること、花子の日記帳は、昭和五五年七月二一日から昭和六二年四月一六日までの間に記載されたもので個人内変動があること、どの字とどの字とを比較するかについてあまりに多様な組合せが可能であることなどによって生じたものと考えられる。
 そうすると、右のような対象について、筆跡鑑定によって筆跡の異同を断定することはできないというべきである。
 なお、筆跡の鑑定は、科学的な検証を経ていないというその性質上、その証明力に限界があり、特に異なる者の筆になる旨を積極的にいう鑑定の証明力については、疑問なことが多い。したがって、筆跡鑑定には、他の証拠に優越するような証拠価値が一般的にあるのではないことに留意して、事案の総合的な分析検討をゆるがせにすることはできない。
  5 本件遺言の作成者について
 右のとおり、本件遺言については、筆跡鑑定によってその作成者が決められるものではない。
 本件においては、太郎、花子と控訴人との生活状態からすれば、本件遺言がされる動機があり、その内容にも合理性が認められる。そして、乙九(鈴木とめの平成二年当時の手帳)に乙三の二とほぼ同文の記載があることを総合すれば、本件遺言は花子の自筆によるものと認めるのが相当である。

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