遺産分割協議を民法541条により解除することができるか【最判平成元年2月9日】

事案の概要

  1. 義朝の葬儀(昭和五一年一二月一五日)後、相続協議に先立つて、被控訴人は、義朝同様治男のマンシヨン賃料(月額四万円)を支払うことに負担を感じ、また、被控訴人が本件母屋に入居した場合、兄弟としてのバランスを考慮し、とりあえず治男の住居を買入れることとし、治男と協議のうえ、原判決別紙目録六(義朝名義で被控訴人が居住していた)及び一一の土地建物を売却し、治男の土地建物を購入することとし、同月下旬頃にはその売却の話しがほぼまとまり、他の共同相続人の同意を得て、昭和五二年一月二〇日ころ、代金約一一五〇万円で売買契約をし、これをもつて治男の居住土地家屋(土地約二九坪、代金一三七〇万円)を購入した。
  2. その後、同年一月頃から登美子(千葉県習志野市居住)を除く共同相続人及び訴外角口ユキヱ(義朝の妹、控訴人らの叔母。被控訴人の求めにより同席した。以下「角口」という)らが集つて遺産相続の協議をしたところ、八重子が、同人の居住していた本件母屋の土地・家屋並びに貸家等遺産の三分の一を相続することについては全員異論がなかつたが、残余の遺産約三分の二について、八重子を除く共同相続人間の相続分について協議が難渋し、特に、「(一)亡義朝が経営してきた訴外会社を、被控訴人のみで経営するか、控訴人幸治、同治男を含めた三名の共同経営にするか。(二)幸治、治男の生前贈与分及び登美子、冨佐子の相続分をどうするか。」等について意見が分れた。
    結局、右(一)については、三名の共同経営は無理であり、被控訴人のみで経営することとし、幸治、治男は別に営業する。この場合、「前記西工場のうち、原判決別紙目録七及び九記載の土地・建物を幸治、治男が相続してその営業にあてる。」とする案が角口から提案され、これに基づいて協議がなされ、最終的に、「林税理士の計算した遺産額(固定資産税課税対象額によるもので、実際価格とは異なる)に基づき、前記八重子取得分を除き五分し(八重子を除く共同相続人五名)、その一づつを幸治、治男が取得する。但し同人らの生前贈与分は控除する。」とすることで被控訴人と幸治、治男間で合意した。その結果、幸治、治男は、原判決別紙目録七及び九の外、同八の土地を相続することとなつた。そして、幸治、治男は、右土地を売却して営業資金に充てることとし、その際、同地上建物は、原判決別紙目録四の土地(被控訴人が取得する)にまたがつて建てられていたので、とりあえず被控訴人の所有名義とするが、老朽化して使用に耐えないものであつたので、滅失登記をし、その取壊しに被控訴人は無条件で同意する旨合意された。
    右(二)については、右のとおり、幸治、治男の生前贈与分は、同人らの相続分から控除する計算で協議が成立したが、登美子、冨佐子の相続分については、被控訴人が「村井家を継ぎ、八重子、冨佐子(未婚)の世話をし、親戚付合いをし、先祖の祭祀を行つていく以上、遺産相続について、八重子及び幸治、治男の前記相続分を除く全部を相続するのでなければ、自己の相続分(八重子分を除く五分の一)を取得して大阪(妻昌子の実家がある)に出て行く」旨強く主張し、角口も「村井家がつぶれてもよいのか」と八重子に被控訴人の要求を容れ、登美子、冨美子を説得するよう強く求めた。そこで八重子は、昭和五二年五月中頃、登美子及び冨佐子(同年四月下旬頃から登美子出産に伴う家事手伝いとして千葉県習志野市の登美子宅に赴いていた)に電話で、「右被控訴人の要求を伝へ、私(八重子)や冨佐子の世話をし、先祖の祭祀もしてくれると言つている。登美子と冨佐子には私の相続した中から貸家(当時八軒あつた)をあなた達にあげるから、相続の主張をしないでほしい。」と泣いて説得した。そこで登美子は、直接被控訴人に電話をし、被控訴人から「八重子や冨佐子の世話等前記のとおり必らずする」旨の確約(言質)を得て、止むなく被控訴人の要求をのみ、相続の主張をしないこととした。
  3. 以上の経過を経て昭和五二年五月三〇日遺産分割の協議が成立した(押印は同年六月一日なされた。乙第一、二号
    証)。
    その骨子は、前記林税理士作成の遺産計算書(乙第三号証の一ないし三)によると、「(一)遺産総額約一億円(但し、固定資産税課税対象評価額で、実際価格ではない)。(二)八重子の相続分(本件母屋、貸家等)計約三八〇〇万円。(三)幸治、治男の相続分各約一四七〇万円(但し、幸治については生前贈与分約六七〇万円を控除して残額約七九〇万円。治男については生前贈与分約三二〇万円を控除して残額約一一五〇万円)。(四)被控訴人の相続分(前記東工場等)約四三〇〇万円」ということになる(他に預金約二九〇万円は冨佐子の結婚資金として同人が取得〈これは義朝が登美子名義で預金していたもので=したがつて、前記の約一億円に含まれない=生前冨佐子の結婚資金として同人に贈与する旨明言していたものである。〉)
  4. 昭和五二年六月中旬頃、遺産分割協議の結果、幸治及び治男が同人らの相続分として取得した原判決別紙目録八の土地(三―三二)を売却するに当り、その地上建物(所有名義は前記のとおり被控訴人)の滅失登記手続をするため、前記合意に基づき被控訴人の同意(押印)を求めた際、被控訴人は右合意に反しこれを拒否した。その理由は、幸治が被控訴人に対し、「大きな顔をして何でここ(本件母屋)に住んでいるのか、居候」と嘲弄したことを理由とするものである。右幸治の言辞は、遺産分割協議中屡々見られた感情的対立から、例えば、被控訴人が幸治らに対し、「お前らは従業員として使つてやる。」等の軽蔑的発言や、同年五月分(遺産分割協議に時間を要したと思われる)の幸治、治男の給与を、被控訴人は突然二分の一に減額したこと、等に起因するもので、もとより不穏な言辞であるが、相互に言い合つているのであつて一方的に他を非難することはできず、したがつて、被控訴人の前記押印(同意)の拒否は、遺産分割協議の合意に反することは言うまでもない(後記遺産分割協議の解除等が許されない法意は、当然右の場合にも肯定されるところである)。
    結局、幸治らが被控訴人を相手方として京都家庭裁判所に調停の申立てをし、幸治らが一〇〇万円を被控訴人に支払うことで調停が成立した。
  5. (一) 同年八月頃、被控訴人経営の訴外会社の大口取引先(全取引量の三分の一〈月間約一四〇万円〉を上廻る取引先)である京都繊維から、被控訴人に対し、「訴外会社と村井幸染(幸治ら経営)の双方と取引きしたい」旨の申入れがなされた。これについて被控訴人は強く反対したが、前記角口の仲介もあつて、結局、京都繊維との取引について、訴外会社が受注し、その一部を村井幸染が下請けをする形で一応の話合いが成立した。
    しかるところ、村井幸染の仕事(染色)の仕上りに比し、訴外会社の仕事(染色)の仕上りが悪く、経済不況と相挨つて発注量も減少したことから、京都繊維は、被控訴人に対し、「訴外会社との取引を同年一一月から停止する。」旨通告した。
    (二) これについて、被控訴人は、右京都繊維の取引停止通告は、八重子が同年六月頃京都繊維の代表者に招かれて訪れたことがあることから、八重子の行動に端を発するものと邪推し、妻昌子に対し、「同年一一月七日以降、八重子の食事を打切るよう指示し、昌子もこれに同調し、以後、本件母屋に同居しながら実母八重子(糖尿病の持病がある)の食事の支度を一切拒否し、さらに、右八重子の病気治療に要する健康保険も打切りの手続をした。
    右について、前記角口は、事の性質上放置できず、食事の支度は妻昌子の仕事であるからと、昌子を説得すべくその実父にも連絡したうえ説得を試みたが、被控訴人らの強硬な態度により効を奏せず、その状況は八重子の死亡(昭和五六年五月七日)まで継続した。
  6. このような険悪な状況下に、昭和五二年一二月一三日、義朝の一周忌を迎え、相続人ら及び前記角口、被控訴人の妻昌子の実父らが集つた際、話合つたが、被控訴人は、「訴外会社は継いだが、村井家は継がない。」旨述べ、さらに、翌昭和五三年一月二七日ころ、八重子が、「被控訴人が原判決別紙目録四の土地(三―二九)を、無断で売却したこと(右土地は、遺産分割協議の際、登美子・冨佐子の相続分とする話しが出て難航した際、訴外会社の資金繰りの最後の切り札として、被控訴人の取得を認めるが、その間事実上八重子が管理し、売却する際は八重子の同意を得る旨合意されていた。)及び前記冨佐子の結婚資金約二九〇万円の定期預金(名義は登美子となつていた)を、訴外会社の資金として一時借用しながら、訴外会社以外の用に一部を使用し、残余を無断で被控訴人ないしはその娘名義で預金したこと、」に立腹し、被控訴人に対し、「泥棒呼ばわり」の趣旨の発言をして非難したことに被控訴人が激怒し、子供用椅子で八重子の顔面を殴打し、傷害を負わせる等の行為をしたため(なお、同年六月六日ころ、被控訴人は些細なことに立腹し、冨佐子の頭部を殴打し、多量の出血を伴う傷害を負わせた)、遂に控訴人らが被控訴人を相手方として、相続財産(一部)の返還請求の調停を申立てるに至つた。しかるところ、結局不調となり、同年八月三〇日本訴が提起されるに至つた(この訴訟が原審に係属中、昭和五六年五月七日原審原告八重子は死亡した)。
  7. 義朝の葬儀費用は、すべて義朝の遺産(預金)から支出され、その後の法要等祭祀も八重子が行つて来た。

争点

  1. 遺産分割協議を民法541条により解除することができるか

判旨

遺産分割協議を民法541条により解除することができるかについて

共同相続人間において遺産分割協議が成立した場合に、相続人の一人が他の相続人に対して右協議において負担した債務を履行しないときであつても、他の相続人は民法五四一条によつて右遺産分割協議を解除することができないと解するのが相当である。けだし、遺産分割はその性質上協議の成立とともに終了し、その後は右協議において右債務を負担した相続人とその債権を取得した相続人間の債権債務関係が残るだけと解すべきであり、しかも、このように解さなければ民法九〇九条本文により遡及効を有する遺産の再分割を余儀なくされ、法的安定性が著しく害されることになるからである。

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